2008年02月04日

空飛ぶジジイになるために。14

12/10(月)。朔・ムーン日。前夜、“鳥もと”にてレバーと煮込み食、ビール飲み。さらに、荻窪といえば、…だろう、というほどの有名ラーメン店へ行くが、早閉店。「ったく、生意気なラーメン屋だ」とかなんとか文句言いつつ教会通りの“野方ホープ”。
なんちゅうか、かんちゅうか、凄いのが出てきて、「まいったなあ〜」っ中華、かんちゅうか、豚骨ベースのラーメンは久々だったが、背脂のせいだろうか、やはりなかなかうまいものであり、濃厚につき満腹したのであるが、人類は結構ブタさんによって養われているのだなあー、というような感慨に耽りもする。

戦後の日本人民は特にブタさんの世話になっている。
つまり、ブタさんは日本人の「養父母」であり、たとえばトンカツは我らが父の肉塊であり、生姜焼きは母であり、チャーシューは祖父であり、ハムは祖母であり、ベーコンは母の浮気相手かもしれない。母が浮気したことは、この際責めてはいけない。

私たちは戦後のどさくさの彼方で、動物性の脂に飢えていたことを知るべきであるからには、母が間男と密会していたことなどは本質から遠ざかるだけなのだ。

私はかつて、「チャーシューメンなるものを堂々と頼んでみたいものだ」と思っていたし、「肉や、さもなくば肉汁を、一度でいいからたらふく食道あたりを通過させて胃袋を満たしてみたいものだ」と願っていたのだが、ケチであるがゆえにそのことを実現することができなかった。

けれども、ある時期からは普通のラーメンをオーダーしても、必然的にチャーシューがたんとスープ上を泳いでいるケースが増えてきたのは、1990年代以降ではないのか。
ブタさんは、多分アウシュビッツなポークになったのだ。南無三。けれども、どうしてブタさんは食べるとおいしいのだろう?

♪ 罪なヤツさ。ah、おいしいpig。(『時間よ、とまれ』by E・矢沢)

米はわしらの母じゃもの。

…という新潟民謡が確かあるはずだが、今や、ブタさんこそ我らの母でもあり、父でもあり、そのことを認知してもらうためのなんらかの活動やトンカツ動が必要なのではないかと、私は思うのだが諸君はどうか? …ぶうぶう。

私たち日本人民は、ブタさん、ウシさん、ニワトリさん、その他諸々の「食肉」動物への感謝感激を養うために、供養するなり、ウシさんはともかくそれらを実際飼育してみるなり、あるいはウシさんの如く乳をモーれつに搾られたり。ブタさんはどうして毛がモウモウと生えていないのか? 覚悟の上なのか? とか考えてみたり。

…いまじん。

10(月)の続き。新聞によれば、柔道の井上康生は負けたらしい。心の状態がよろしくないのか、見てないからわからない。「バスティにより恋の神さまのように美しくなる」とは『ゲーランダ』の記述。
(性交は他者への奉仕に徹する場合において、唯一「欲」から遠くなる。性技の巧みな遊女に聞いてみるといい。相手の快楽を優先することだ。)

嫁の温情により、午後から駅前 “理想郷” へ。
フィンランドサウナで私は瞑想し、解脱ごっこ。
全フロアを見回って、「デッドスペース」が消えたことに落胆した。雑居部屋で吉本読みつつ、うたた寝。

…経営に「遊び」の要素がないからこうなるのだ。もっと余裕をもてばいいのに。「デッドスペース」というのは、どこぞのバカが考案した言い回しに過ぎないのだと知ったほうがいい。すべての「スペース」に利益を生じさせようとするから、席を詰めさせたり、「遊びの空間」を台無しにしてしまうのだ。中小企業の経営者はこのことを考え直したほうがいい。
なにゆえ、今でも駅前のバラックが繁盛しているのか? というようなことをだ。
「利益を生まない空間」をあえて設けることによって、人は安らぎなり余裕を感じとるのだ。中小企業診断士とか、あるいは税理士なんていうご立派な人たちは、いつでも勘違いしているから、「損益分岐点」がどうのこうのとか言いやがって、自分の立場はしっかり守っておいて一時しのぎのアドバイスで経営を惑わせているだけだ。「脱税指南」しているほうがよっぽどマシだ。

経営者も経営者で、いちいち惑わされないでもっと自信をもつべきだ。たとえば税理士なんてのは、決して信用するに値しない。彼らは国家と企業のはざまで収益を得ているだけの存在かもしれない。
彼らの言うとおりにしていたら、やがて辺境の商店街はさびれるか、あるいは大手の資本によって駆逐されてしまうかもしれない。だから零細企業の経営者はフリーで仕事をしている誰かにアドバイスを受けてみたりとか、あるいはどうして『三丁目の夕日』なる映画がヒットしたのかを、よくよくご自分の頭で考えてみることだ。

「デッドスペース」が、本質としては「余裕を生む空間」であることに気づいたほうがいい。山も川も海も、そして空も、あらゆる空間も、一部の人類の利益のために活用しようとしている企業家がいるとしたら、彼らの悪業は果てしない貪欲と無知と怒りに満ち満ちているがゆえに、なんらかの報いを受けるだろう。…ね

11(火)。アラームセットをしくじったらしく、起きたのは5時過ぎだった。急ぎ仕度につき、51節の記憶不可。ナウリとカパラバーティ少読。
遅刻して、キム嬢らと同時入室。右に大船観音嬢、左にジョーブ博士、マダム・ルル。前に富士子嬢はそういえば“スートラ組”であったか。定位置から少しずれただけで集中欠く。「定点」ないしは「洞窟」ないしは「孤絶」の、いずれかが不可欠だ。
49と50節を繰り返し唱えつつ進行。視界のズレによる散漫さを排除するには、マントラは有効だ。爪先upは最後までやり通す。「強靱さ」はひとつの目標。そしてそのパワーは自分ひとりのものではない。“秘技”混交も児戯程度。

終えて、スープセット食しつつ、Aの『大乗経』。「平等心=捨」という着想は独自なのかどうか、不明だが斬新。
飯田橋職安へ。さらに大神宮へ。「神道は頽廃している」と思いつつ帰路、「役行者」本読。
「帰りが遅い」と、嫁が不機嫌。野菜炒めチャルメラ食のち、児童館へ。予想外に手狭のため困惑。近隣らしき奥さんたちと挨拶交わすのが辛い。卑々笑い繰り返す。


12(水)。前夜。わん用の太刀魚残りと冷や奴と麦茶酎。嫁との問答は治療の件。現状はいつでも苛酷だ。「満足しない」人は、なんであれ不平不満に取り憑かれている。わん入浴のち、『ブタヤマさん』(by長新太)絵本読み聞かせ。丑三つ時に絶叫に近い夜泣き。ゆえに不眠。

4時頃にうとうと苦悶しつつ起動。CDで51節暗記して、5時過ぎに出動。南東に星見。復唱しつつの入室は6人目。ロッキー、ボンタン氏の次あたり。左に大船、長老、マダムが並び。なぜか閣下が2度も笑うので、「どちらかの“親分”が来る」と確信した。
案の定、ゴージャスなデカイ金髪美女登場。即ち、バー様である。そして一気に「華やいだ」雰囲気になった。
私はガルピンゴロゴロで、「うまくなったじゃーん」のような掛け声あり。ニッコリ笑顔。守衛さんもどうやら喜悦の声。
背屈で“バンザイ姿勢”の指示あり。「悪い予感のかけらもないさ」(by忌野清志郎)と、従順にフォール。

前方で仕上げ終えて、ロミ嬢が「(バー様が来るのを)知らなかった。すごく嬉しかった」
と、やや興奮気味に語るのが印象的。ざっつらいと。

帰宅してうどん食。さらに図書館でポーランド民謡CD借りは、バー様登場ゆえ。駅ビルにて『ヨブ記』購入。わんたろうはときどき不機嫌が増して「ハッキョマン」に変身。激情型と言うべし。


13(木)。前夜。疲労ゆえ瞑想怠け、『善勇猛』少読。浅眠。
翌。尿意で起。G師のCD連続聴きは復習兼ねて。『ゲーランダ』はウトゥカタが「不平衡な体位」と説明。夜の青ネギは悪食だった。

スートラW復唱しつつ5時過ぎ入室は3人目。シッダしばしのち始動。左右は花形君と城ノ内嬢。前方にジョーブ博士来。私はカウントがわりに51節を反復。後半までフルヴィン。“虫”の体勢で止まっていたら、バー様が「ジャンプバーック!」、で、笑顔。

身体のタフネスは不休の練習で養われることは確かだが、バー様は「万歳三唱式ドロップバック」の指示あり、べりいはーど。前方に移動してパドマはさらにハードに。ウップは108勘定。やぶにらみ。さらに手鼻式呼吸。すー、ふぃー。帰り際に“妖精ちゃん”が見えたような。

帰宅して教育テレビの子供番組見つつ、わんたろうと朝餉。

夕方。ある楽曲に関する私の記述は、後日クレームがついた。
熱烈に過ぎるファン意識は、冷静さを欠くことが多い。そもそも対象のアイドルが誤謬に陥っていることを、決して認めようとしない。また、誤読に対する訂正なり謝罪をいただいたことは一度もない。
なぜ日本人は謝ることをやめるようになったのか? 「謝ったら負けを認めるようなものだ」とでも思っているのか? 反省や懺悔は大切なステップだということを、もっと重んじたほうがいい。敬意や敬信を欠いた人は、壁の中でとどまることはできるのだろうが、次生の保証はないと気づいたほうがいい。

どんなにそれらしいことを教わったとしても、一度自分の頭でよく考えてみることが重要なのに、そういうことは一切しない。知的な怠惰だ。無知は、別に知識の量ではかることではないが、盲信することは無知の深みにはまるだけだ。

14(金)。前夜。祭壇に一輪挿しを供えてくれたのは嫁だったと、遅ればせに気づいた。三波春夫CD聴きつ、わんたろう誘眠。寝床で『善勇猛』続読。

翌。Gマントラ聴きつつ、子供体勢。『ゲーランダ』はアサナ話。出動して、南の空に星ふたつ見、されど月は見えず。3-4人目入室。
「無種子三昧」を反復。ローラー、マダム、獅子丸、ビキニ各氏登場。次第に混雑してきたのは「なにごとか?」と思いきや、クマハラ会長がリターン。肌まっ黒。国籍不明。人種判別不可。とはいえ、バー様とW豪華競演。バッダコーナでバー様が、「ウディヤナバンダ、モットツカッテ…」。さらに会長と「万歳三唱」。仕上げで眉間見の狂人。異様。ウップ108、震えつつ。

終えて、会長に合掌して退室。王室にて中毒緩和しつつ、A本を続読。

【(シャカムニが小乗の成就までしか説かなかったのは)当時の人々の魂の状態が、大乗に向いていなかったから。】

【人々は(自分の)苦から逃れるためだったら修行をしようと思う。しかし他の人のために修行をしようという気持ちなど持っていない。そういう状態だった。】

…今もだいたいそうだろう。
多くのヨガは、「健康と美容」程度しか伝授しない。だから「非暴力」という戒は、「反暴力」という能動的実行にまで至ることはない。ただただ自分の幸福ばかりを希求することが、ビジネスやら日常の様々な出来事に蔓延している。

私たちひとりひとりがそこから一歩でも半歩でも前進しない限り、ヨガはただの「健康オタク的実践法」にすぎない。

昼に。わんたろう抱いて床上で寝ころんでひなたぼっこしていたら、うとうとして夢見。ダライ・ラマ法王が、私の腰部をなぜか“カニばさみ”していた。ありがたき至福。
午後。児童館で滑り台とロデオ遊び。

まだ12月。

15(土)。前夜。「スシュムナー」話は途中まで。冷や奴とサンマ。ヨネの酒が欲しくなるが、わざわざ買いには行かない。少しはマシになったんだろう。
寝床で、図書館本『ジンベエザメのなみだ』(長新太、作)を読み聞かせ。
仏前にて、観音マントラ反復を夜半まで。奇行。

翌。なぜか右奥歯痛。起床困難。あてなく夢想。『ゲーランダ』は不明のアサナ話が続く。
出動。流星群こそ見えないが、西に星見。
5:15。ロミ嬢が一番乗りなのはどうしてだろう? 疑問は解けず。スートラ1-51までを復唱。ほぼ記憶。さらに51節を反復しつつ始動。立位まではノーマル。坐位からジャンプやめたのは、「覚醒」から遠ざかる気がしたからだが。まあ、わからない。秘技で眉間見。途中省略し、ナヴァまでで仕上げ。秘技2は目立つかもしれない。

終えて、トッポ嬢と長老が入れ違い。キオスクで新聞買い、やや遅れ帰宅。
わん給食ついでに、白菜入りカレーうどんとレーズントースト食。炭水化物過多。
旧約聖書の引用箇所調べは、フネフネ嬢の記述に基づく。こういう機会がないと読まない。旧約は少しずつでも読んでみたい。

わん前抱きにして、「杉並アニメーション館」へ。幼児向きではない。さらに、太田道灌が武運長久を祈願したとかいう、荻窪八幡にて世界平和祈念のため銅貨投入。私は20年ほど自分のことを祈っていない。と思う。少なくとも現実的な願望を神仏に頼んだことはない。受験生の時にたまたま立ち寄った湯島天神ですら、自分の合格祈願などしなかった。

帰宅して、わん入眠につき、アキ・カウリスマキ映画『真夜中の虹』見。こっちがフィンランドの実像だと、私には思えてならない。
夕方から「ジャッジしない」話の続記。わんたろうが膝元にしがみついてくる。

夜。初めて個室居酒屋へ。ふろふき大根美味。他にお好み焼き、つくね、野菜煮、銀杏。しかし、わんたろうが徘徊。注文しすぎだったと後悔しても遅い。猪突猛進的に尻滑りで廊下を往復するわんたろうに、ふたおやは落ち着きなく、おろおろおろおろ。あこがれの熱燗はまた飲めなかった。


16(日)。前夜。私は孤絶感深く。海外赴任とアフガンの空想話。リレー入浴のち、『ボクのおじさんはトラ』なる絵本は、ネコの描き方が絶妙。
仏前にて真言唱えつつ、数珠の必要性実感(愛用のは何回か切れて、とうとう珠の数が合わなくなった)。

翌。6時起床。比較的熟睡も尿意と煩悩はあてどなく。
プラットホームにて第1章全部復誦。6:37、千葉行き。「五?を超える」、「クンダリニーが覚醒したら禁欲」、「四正断」。さらに、「真理に縁を作ってあげることがもっとも大切なんだ」(『マハーヤーナ・スートラ』141p)。…真理子の部屋に電話をかける、とか。
(これは「綺語」という不善業のひとつ。)
ところで三十七の道には、「悪友との交際を断つ」っていうのもなかったっけ?

夜明けの代々木には飢え腹で陽気な酔いよいのヨギがいて、預金は募金することを余儀なくされているのはヨギのヨギたるぎりぎりの義理であり、勇気の遊戯はオーギクボで奥義を極めたヨギニよりも義理堅く、ぎゃーてえぎゃーてえ、よーぎーそわかあー、といへり。これらヨキことかな。
(これも「綺語」という不善業のひとつ。)

エリ嬢、オイドン氏、イカ氏、ドキンちゃんまでは確認できたが、あとは不明。
私は右肩に変調あるが、四つのバンダにお願いして、ちあきなおみ的に喝采の太陽神拝み一刀。
柔肌のあつきぬくもり尻もみで、さみしくないかとマリーチD。アジャストされたよ銀師匠。(:参考、与謝野晶子)

あ。満室。もうやめよう。
私は遠慮深くて毒々しい傾向があるからには、ひとりで去ろう。…で、ココア読書したあと、まだ時間が余るので“はいからうどん”なるを食す。

勇者ビッグハートの個展へ。
あ、自由な魂が謳歌しているな。プリンターの使い方とか、記録の残し方が面白いし、何より「逸脱感」があっていいな。
作品集を交換拝見しているときに、手渡し合ったその人があまりに女優のTさんに似ているので、「あのう、Tさんですか?」と愚問したところ、その美女は「あ、はい」と答えてくださるので、私は再度、「本物のTさんですか?」と愚問を重ねた。

ううむ。Tさんは遠慮深く、エリ嬢は子煩悩であり、もっとも愚劣な私は孤立していることに喜びすら感じて。退室。孤独は自由とからみあう、アザだらけの縄。蠅トリ紙の蠅。

帰宅して、あらよっと出前一丁食しつつ、織田某氏の件コメント返しつつ、疲労をものともせずに「瞑想教室」へ。「動機、菩薩、煩悩、富、名声」に関する、各々の瞑想。

帰って、私はミクシイから片足だけを抜いた。
さらに嫁が検索してくれた織田某氏のブログを見つつ、「創造性とユーモアを欠いた皮肉や、単なる批判一辺倒の言辞はどうしてこうも不興なのか」との思いを深くする。
結局、嘘っぱちなんだ。自分のドス黒い内面を抉れない書き手は、社会の不正を糾す場合にも「とおりいっぺん」の言い方しかできないものだ。言い切るだけで、大して本気じゃないんだよ。卑近に過ぎない悪をまっすぐに糾弾するだけの正義には、過去も未来もないんだよ。うすっぺらな正義で人を言い負かすようなことだけはやめたほうだいいぜ。
posted by redsnake at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/82400650

この記事へのトラックバック