2009年10月31日

「赤ひげ幼稚園」を探して。09.10.23(金)。

10/23(金)。前夜。寺子屋というか私塾というか、少人数制不認可幼稚園の利点を力説しているうちに、園長先生と「赤ひげ」のイメージがかぶってきた。ならば「赤ひげ」を選ぶしかない。自分自身が不安がっているような経験の浅いだれかれに幼児教育を任せる気にはなれない。また、この人ならば子どもを任せられるし、親である私も関わることに嫌気をおぼえることがない。どこかの見学の時に、わんたろうが突然愚図りはじめたのは、言語外表現としての抵抗だったのかもしれない。「赤ひげ」幼稚園では終始ご機嫌だったことと思い合わせると、確信が深くなる。

翌。『三昧王経1』読。

「このように彼の名前はどこからかやってきたものではない。」132頁

…子どもの頃から自分の名前に違和感があった。長じてからもこの傾向は変わらず、ブログやミクシイで「へび」を名乗るようになったとき、それなりに開放感が生じた。けれど実名を隠すほどバレて困るような何ごともないし、しょっちゅう書くからには自分の氏素性を明かすべきだと思っていた。私たちはおおむね堂々としていればいい。恥じる機会はもっとちがうときにあるはずだ。

「…あるいは尊大ぶっている人々や傲慢な人々、そういう人々は、この仏のさとりを理解することができない。」133頁

…「仏のさとり」はともかく、「尊大ぶっている人々」は少しは恥じればいいし、一切自分の正体を明かそうとしないような人々は、ご自分の臆病さや恐怖心がなにごとに起因しているのかを探るヒントになるような文献を読んでみればいいのではないか。私たちは、自分に都合の悪いことを指摘された瞬間に、それを見なくなったり読まなくなったりする。そしてそういう恐れを抱いているひとが大多数を占めてくると、たとえば「待機児童」を問題視することが主調音になってくる。要するに不都合なことやイヤなことはすべて忘れているんだ。もし忘れていなければ、今の幼児教育や保育にもっと関心をもつはずだ。私たちはただ目の前のことを進めていればいいのか、それともちょっと昔やずっと昔のことをさかのぼることによって、はるかに先の未来を予感したり創造できると思えるのかどうかで、ずいぶんちがうのではないか。私は乳幼児とご老人のことを常日頃考えていないと、人間性はどんどん後退していくような気がしている。

アミーゴたちはどう思うだろうか?
どんな時代でも、壮年者には相当のパワーがあることに変わりはないだろう。だから小さな創造や、創造に向かうための破壊に関わってみればいいのではないか。なにを温存しておきたいのか。恥ずかしがっているだけなら、ちびっ子と変わらないじゃないか。

嫁の手作りハンバーグと豆腐入りチキンスープはまあまあ食べてくれた。とうちゃんはスープの残りとふりかけめし、梅干し。『トトロ』のビデオ途中まで見て、婆ちゃんを知恵者とすることに幾たびかの感銘をおぼえ、体操クラブへ。

宮崎駿作品の音楽はずいぶん幼児教育に取り入れられている。そしてまちがいなく一役果たしている。教育者らはずいぶんと依存しているだろうし、映画は最良の教材になっているかもしれない。声優の選択はすべて子役をベースにしているのかもしれない。たとえば『トトロ』での糸井重里のキャスティングは絶妙で、プロの声優ほど演技力はなく凡庸でも声のトーンや声のよさだけで優しさを醸し出している。さつきやメイの声が引き立つように「脇役」をこなしている。

見学中、母親たちは案の定というべきか、幼稚園話。エイトマン幼稚園は人気で、抽選があるらしい。なるほど。タロット占いでもしてみるか。とかなんとか思いつつ、体操ちらちら見ていたが、10数人の生徒に3人指導員がいて、けれどひとりが急な来客など別の対応に追われているときには2人になってしまう。眼が行き届かなくなっているのは明白で、まして15人以上をひとりの指導者が担当するのは常人には不可能だと思う。

「幼児教育は別物」という発想をもっていないと、園庭や園舎や周辺環境だけで幼稚園選びを間違えてしまうこともある。私たちは知恵者でもなんでもないが、一応年くったおとなだから、おとなの視線で見極めをしているだけだ。そこに「赤ひげ」のような人間力たくましい教育者のプロがいるのかどうかを見ようとしていない。

帰路。買い物はほとんどわんたろうが主導。「さんまかうよ」、「ぼっこぃかうよ(ブロッコリー買うよ)」。

わんたろうは満月の頃にいなくなったヤドカリを気にしているらしく、路上に落ちている石ころを拾いながら「やぉかぃさん、ふぁんぱえてゅかな(ヤドカリさんごはん食べてるかな)」のようなことをいう。石ころを見ると、確かにヤドカリに似ている。

夕方。嫁が実母と電話でやりとりしていて、幼稚園選びに迷いがあることを伝えると、「赤ひげにしなさい、絶対そっちがいいよ」と後押ししてくれたらしい。ありがたいことだ。

私は川崎のぼるの『てんとうむしの兄弟』とか、『巨人の星』の左門豊作の家庭を連想していたし、原初的な幼児教育機関とはおおむねこのようなものだろうという見当はついているつもりだったが、年長者でありご自身が教育者である嫁の母が支持してくれることによって、どうにか調子づいた。

ジジイとババアを敬うべし。
posted by redsnake at 21:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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