1.立地条件(登園距離、周辺環境など)
2.園舎・園庭の造型美、ないしは自然美
3.指導者の「人間力」
4.いわば親の都合(登園距離、延長保育や給食の有無など)
5.「ロック魂」的要素
…5はともかく、だいたい以上のような理由で、親は幼稚園を選択するはずだ。そしてラッキーなことに、杉並区では選択肢が豊富だ。すべてを叶えることはまず無理だから、なにを最優先事項とするかが決め手になる。私は人間力と環境を兼ね備えていれば、それが現況で最善だと見なす。片親しかいないとかいう格別の事情もなく「親の都合」ばかりを最優先するなら、育児の苦労を先送りするだけかもしれない。(思春期で荒れ狂うかもしれないし、もっと先に持ち越すだけかもしれない。)
明け方に満天の星夢見。登場人物も多様だったが記憶に残らず。起動して『三昧王経1』読。
「(ボサツは)不平等なる見解からもろもろの衆生を目覚めさせる。」131頁
…テレビでは飽きもせずに覚醒剤事件の続報が放映されているが、そういうことよりも視聴者各々が覚醒するような真理めいたことに着目すればいいし、たとえばお父さんもお母さんも監獄に入るとか断罪されている子どもの悲しみを切実に感じ取れるような報道を志向すればいい。なにが視聴率をアップさせるのか、制作者は見極めが不十分なのではないか。もっとブッ飛んでみればいいのに、なぜ、いつのまに、テレビは危なげない表現だけに偏ってしまったのか。生放送で蛭子さんとか荒木さんとか岩井志麻子とか西原理恵子とかを起用してみればいい。
ギョーザめし喰って、9時半出動。U幼稚園「体験クラス」へ。
園舎と園庭は好ましく感じたが、「人間力」は不明。「お遊戯」レベルなら対応できるが、なんらかの不調を抱えている子ども(や母親)に対応できるほどのパワーを感じない。だから園庭を開放してくれる日があるなら利用してみたいというだけだ。
私たちは老いていく過程でようやく成熟するくらい、現代日本が「総幼児的」であるかもしれない。今さら「自己実現」したい親の心根にはなにがあるのか。それは幼児期に教育的ななにかを押しつけられたり、あるいは密着感を欠いてすぐに保育施設に委ねられたことによる喪失感に根因があるのではないか。
親の都合が優先される、そういう報道のほうが受け容れやすいのだろう。だから新聞やマスコミはほんとうのことを書こうとしないのだ。何度もくり返すが、「待機児童」などいない。親が参っているから、少子化がやまない。
あたりまえだが子育てによる現金収入はない。しかし魂を肥育する。その点においては親も子も同等だ。いろいろ事情もあるだろうから一概には言えないが、もう一度自分も幼児期からやり直すつもりで、子育てに専念してみてもいいのではないか。復職したり、パート収入を得ることと比較して、どっちがほんとうの「りやく」になるだろうか。
そして行政は、既存の保育施設を増やすことに専念するのではなく、「ポニョ」にヒントを得て老人と子どもの共生施設を創造するとか、廃校を利用するとか、アジア人民との交流を深くするとか、案出したり実現の可能性を探ることはできるだろう。
子どもが少ないから国力が衰退していくのか、国力をあまりに強くしようと努めたために民力が疲弊したのか。なんなら養老孟司的に「昆虫力」をはかってみたらどうか。オレはジジイになっても「ガキ魂」を保持して、おとなたちをボロクソにけなしてみたいぜ。「となりのトトロ」はとなりどころじゃなく、はるか彼方になるか、一切無縁になるだろうぜ。
午後。託児付きヨガのち、善福寺川沿いのミニストップで「買い食い」のような路上軽食。交通公園で閉園時間まで遊戯。
♪
「Oh, yeah」のいうこともわかる、だけど3才児の気持になればいいのに。
今どきの「Oh, yeah」ときたら、自分の都合ばっかりさぁー。オー、ヤー!
(忌野清志郎より、勝手に改作)
私たちは今までなにをしてきたというのか。
偽善者は無農薬野菜を好んで喰うが、虫けらは嫌うらしいぜ。
いい気なヤツらだ、クソッタレめ。
フォト:交通公園にて、岡本さんはサービス精神旺盛だった。

