「これらの人々は、眼前の幸福に心を奪われている。」117頁
…わしらは眼前の幼稚園選びに奔走する。レッツゴー、説明会。
園長先生のスピーチは長い。私などは人前でなにかを話せと言われても戸惑うだけだ。そういう意味ではすごい人だが、綾小路きみまろに比べると話が面白くないのも事実だ。説法はともかく、私たちは「眼前の幸福に心を奪われている」から、園児の視点に立つと園庭に開放感がないことや、車道の交通量が多くて騒音が脳を圧迫するような感覚を純粋に感じとることができないのかもしれない。それより延長保育や料金のほうが大事なのだろう。あじゃぱーなことである。
マクドナルドで「グラコロバーガーセット」などを持ち帰り、同行一家と馬橋公園へ。
いくらか黄葉している。水遊びする子どもは皆無で、わんたろうたちだけがバシャバシャ水蹴り。尻まで濡れ衣となり、着替えして一旦帰宅。さらに近所の公園でサッカーごっこ。鉄棒好きの幼稚園女児とまじわって遊戯。女児は男親に憧憬を抱いているような気がしたが、ことによると「ててなし子」なのかどうか。ならば今を限りに私がその役を果たそうではないか。キミに会えてうれしい。
♪
少女はハイな気分で、空まで飛ぼうとする
だが今はブルースも聞こえてこないのに、少女は憂うつに沈みこむ
(「Pimpers Paradise」、ボブ・マーリィー&ザ・ウェイラーズ、訳詞:山本安見)
女児はなにかを恐れているような気がした。「おかあさんがね…」と言い淀んでいた。けれどキミの笑顔は最高だよ、だからまた会いたいね。
弁天池公園で日が暮れて、嫁の帰宅を待って、同行一家とおでんパーティー、美食。
途中でゲリー本少読。広島・長崎話のインパクト。「現代医学の大きな問題は、いわゆる神秘学を忘れてしまっているということ」(『超入門アカシックレコード』116頁)。
フォト:馬橋公園
10/18(日)。前夜。おでんで昇天したらしく、不覚のまま就寝。二階堂がきつかったのか、ワインがVだったのか、ヤニが染み込んだのか、ともかく他人を巻き込んではいけない。悪いことほどひとりでやらねば。
昼近くまで惰眠。反省して五体投地。左右鼻呼吸。『三昧王経1』読。
「…また来世に心を奪われており、究極的な善を生み出す根源を求めているのではない。」
「(来世に心を奪われているとはどういうことか)それはすなわち、神々の世界に生まれることを得ようとすることである。」117頁
…天国で「酒はうまいしネエチャンはキレイ」だとしても、マルメラードフのような境地で死ぬほうが純潔なのかもしれないし、泥にまみれていたいと思うが、せめて幼稚園の送り迎えだけはまっとうしたい。
(後日追記:この件は思いつきで書いただけだが、歌の作者が亡くなったことは知らなかった。)
朝めしのような昼めしのような、手作りアボガドハンバーガー。ありがたく珍食。(夕べに焼きそば。)
高井戸の「ウルトラマン・ショー」を見に行くつもりだったが、わんたろうは「こうえんいくよ」と、なかば愚図りながら主張するので、それならそれでもえぎ公園へ。蝶々が舞っている。野鳥がけっこう飛来する。通称「バナナ虫」が手乗りする。水と草地があれば昆虫は少しずつだろうが増えていく。無闇に草刈りしないほうがいい。虫がいるから野鳥もいる。カエルもいる。
池のある公園で、またしても嫁がザリガニ発見。めざといというのか。メダカはいつのまに放流したのか。それとも自然発生したのか不明。
わんたろうは幼稚園児とまじわってザリガニ観察したいのだろうが、園児はすぐに興味を失って遊具に駆けよる。「じゃがりこ(ザリガニの言い間違え)、みにいこうよ」とわんたろうは叫ぶが、園児は「じゃがりこ」のことは忘れて遊具に熱中する。親がもっとおどろいたり興味を示せばそうでもないだろうに、私たちは子どもが水に浸かることを咎めるだけだろうか。
フォト:もえぎ公園のマダラチョウ、ザリガニ
(リコーGRで撮影)

