翌。ダラダラ起床して、『三昧王経1』読。
「彼は常に(さとりを求めて)席にとどまることなく遍歴しており、最高の人(仏)の知恵を望んでいる。」113頁
…何度も転職をくり返したのは、これ以上その場にとどまっても偉そうになるだけだし、経験を深めることもできないからでもあるが、悟りや知恵を求めていたのではない。親しい友人との酒席なら、いつでもハシゴしていた。「おまえはどうしていつもハシゴするのか」と問われると、「居心地が良くなってきたときが潮時なんだ」と答えていたか。長居することをひたすら嫌っていた。
大豆のキーマカレーはやや珍味、わんたろうはコロッケ。遅れ気味で体操へ。連日混雑。見学母は20名以上。最中、河合隼雄本続読。『こころの処方箋』。
「道草によって「道」の味がわかる」とか、「物が豊かになると子育てが難しくなる」とか。しかし、「一生道草」というのはどういうものか。「オレは考えることをしている、トンマに」とでもいおうか。「物が豊かに」云々はまさにそうでもあろうが、我が家もご多分にもれず、おもちゃはたくさんあるし、とうちゃんはアマゾンで定期的に本を買うため、未読本が次第に増えていく傾向がやまない。まあ、とうちゃんのことはともかく。
現代日本の子どものほとんどはおもちゃをあふれるほど持っている。いいか悪いかは別として、昭和40年代には今ほどおもちゃがなかったし、児童番組もそれほどないし、ましてビデオもDVDもないから、『ウルトラマン』や『仮面ライダー』は放映時間を逃すと二度と見れないほど貴重なものだと感じていた。だから必死にテレビにかじりついて見たのだと思う。
現代先進国ではおもちゃが有り余っていて、だからこそ『トイ・ストーリー』のような映画がヒットするのだろうし、「おもちゃを捨てないで」とか「大事にして」という玩具メーカーが、一方ではおもちゃの新作を乱造して、正義の戦隊は複数で、様々な変身バージョンをもっていたり合体ロボになったりすることでおもちゃのバリエーションを増やしているのだろう。そしてそれらは中国製だ。せめてウルトラマンシリーズのように継続性のある造型をすればいいのに。
いけ、ゴモラ。
『大怪獣バトル』の主要キャラクターであるゴモラは、昭和41年放映の「初代ウルトラマン」に登場した怪獣だ。私が去年のクリスマスにわんたろうにプレゼントしたのはゴモラの人形だった。なぜなら、私も同じ昭和41年生まれだからでもある。
3才の誕生日にミクラスを買うときも、ずいぶん前から欲しがっているのをすぐには買い与えないようにしていたが、わんたろうも欲しがって愚図るようなことはなかった。なぜかはわからないが。
おもちゃが少ないほど、子どもは大事にするのかもしれない。「超資本主義」というのは、どういう状態なのか。おもちゃを大事にすることと、メーカーが繁栄することはどのように同時解決すればいいのか。私にはわからないが、中国の現場労働者の賃金を上げて、ある程度まで適正な価格(国内製造よりはやや安価な程度)に戻すことはできないのか。少なくとも安い賃金を他国の労働者に押しつけたまま自国の繁栄だけに走ることから離れる方便を考えることはできないのか。私はアホウだろうか。
けれど近隣の東南アジアから学ぶことは多いはずだ。「自殺者3万人」が10年以上続いているということを解決するなら、先進欧米諸国よりも東南アジアからアフリカにかけての人民の暮らしぶりを学ぶべきではないのか。
午後。弁天池公園へ。
わんたろうは入れ替わり立ち替わり「あの子と遊ぶ」状態で、4時間滞在。昨日も見たが、ヤマネのようなネズミはわんたろうが追いかけると池に飛び込んで起用に泳いでいた。
だれもいなくなっても帰らず、もえぎ公園では犬やネコをかまっている。
夜。嫁が遅く帰宅したのは、私のためにどこぞで冬着を買ってきたからでもある。そして私はその冬着を「欲しくない」といって断った。言い方が悪かったのだろうが。何度くり返しても理解してくれないとも思う。「汚らしいからもう少しまともな服を着ろ」と言いたいなら、正直にそう伝えてくれればいつかは買いに行くのに。
アマゾンで注文した本が届いた。ゲリー・ボーネル関係3冊。けれど新しい服は欲しくない。着る物があればいい。単に興味がないからだ。それ以上の意味はない。
フォト:キンモクセイ

