2009年10月23日

WAR。09.10.15(木)。

10/15(木)。前夜。母子不在のため遅上がり。自家製パンにマヨネーズつけて夜食。寝床でアイヌ本。ニャンタロウと添い寝。

翌。9時起床。『三昧王経1』読。

「悪しき友は常に避けなければならない。善き友こそ親しく仕えるべきである。」109頁

…「悪しき友」とは、この男だ。だから「避けなければならない」。しかし一向にラチがあかない。一見「善き友」とは実は厄介で、ほんとうの「善き友」は容易に見つからない。

「如来たちを念じて、その形相を思い浮かべる人は、感官は鎮まり、気持は乱れない人となる。」110頁

…「形相を思い浮かべる」というのはダライ・ラマ法王の「瞑想入門」を読んで以来、いい加減ながらも続けているが、気持が乱れるようなことに、より多くの時間を割いているといえばそうだ。鎮めようとするのはまだ早い。しかし「如来たちを念ずる」ことや、息をひそめることが狂乱の突破口になるのだという盲信は、今後もやみそうにない。阿呆道というべし。


自然の奥義が、大気の中を漂っている
注意して耳を傾ければ、きみにも聞こえてくるだろう
それは第1の天使の吹くラッパかもしれない
あるいは最後の天使のものかもしれない

(「NATURAL MYSTIC(自然の神秘)」、ボブ・マーリィー&ザ・ウェイラーズ、山本安見訳詞)

一日のうちのほんのわずかな時間だが、縄文魂を探求する。あるいは宇宙とコンタクトしようとする。サイコーじゃん。

朝飯喰うヒマなく、ニ幼稚園の説明会へ。別にあら探しのつもりはないが、これといった欠点が見つからないどころか、園庭はほどよい広さだし、周囲の環境や登園路もベストに近いし、給食担当者はおおげさに言えば天使のような女性だったし、室内遊具は凝っているし、文句のつけようがない。そして物足りない。他に選ぶ余地がなければ、この幼稚園はベストかもしれない。

午後。もうひとつの幼稚園に願書を取りに行ったが、前者と比べて優位に立つ点は皆無といっていい。保育時間が長いことと、商店街が近いことはおとなにとっての利便性であろうが、子どもにとって大切なことではない。園庭が交通量の多い道路で分断されているのもいい感じがしない。

ママヨガへ。
長老たち曰く、「今のお母さんたちは自分のやりたいことがあるのでしょうけど、私たちの頃はそれどころじゃなかった、せめて幼稚園までは面倒見ようと思っていたから、ほんとうに大変だった」。

…それは確かにそうだろう。けれど社会全体の速度がはやくなりすぎていて、そこからずれるには大きな「個人力」がいるのも確かだ。そして新聞等マスコミの見解は「待機児童が多数」ということで一致している。「それはウソだ、子どもを預けたい待機母がいるだけだ」という話を、私は聞いたことがない。あやういな。

実績のある長老たちと、今の母親がつながるような社会をつくることはどうしたらできるのか。「待機児童ゼロ」を推進する政治家どもは狂っているのだと思わないか。彼らはうつ病や自殺者を減らしているといえるのか。だから何度も言うが、施設に預けるくらいなら東南アジアからベビーシッターを雇い入れた方がはるかに有益だと思わないか。相互にメリットがあるはずだ。たとえばタイの人民は、日本人よりはるかに子どもをあやすのが得意だし、日本人は足もとにも及ばないということは、タイ料理屋に赤ん坊を連れて行った経験のあるだれかなら合点がいくはずだ。私は映画『バベル』でメキシコ人の家政婦を雇っているアメリカの家庭を見たときに、このことを痛感したし、いろいろ問題はあるのだろうが、他国のだれかと密接に関係することができるというメリットのほうを優先事項だと見なせるようになれば、政治家は一定の寛容さをもっているのだと思える。一方、ふたことめには「国益」としか言わない政治家やマスコミはダメなんじゃないか。国際間の人的交流ができるときに、問題も起きるかもしれないが、より大きなメリットがあるのなら前に進めばいいだけだ。東南アジアの人民が、私たちのうつ病を軽減してくれるかもしれない。子育ての苦労を癒してくれるかもしれない。否、たぶんまちがいない。私たちは彼らから学ぶことが多いはずだ。


ある人種は優れていて、別の人種を劣ったものと決めつけるような考え方が
最終的に、そして永劫に信用されなくなって、廃棄されるまでは
どこもかしこも戦争だらけだ、
(「War」、ボブ・マーリィー&ザ・ウェイラーズ、勝手訳)

私たち日本人は当然のように時代の快楽を既得権として享受している。それはそれで大いにけっこうだが、ご先祖様のおかげであり、近隣諸国のおかげではないのか。

もっと病的に言うなら、昆虫や小動物が数十年でこれほどまでに激減したことは、私たちが次第に力を得て、自分の権利ばかり主張しすぎたからではないか。そうではなくても、少なくとも、昆虫の生存権を代弁してこなかったではないか。

人間は優れていて、別の生き物を劣ったものと見なすような考え方が
最終的に、そして永劫に信用されなくなって、廃棄されるまでは
どこもかしこも戦争だらけだ、

うぉーうぉー

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フォト:弁天池公園のホトトギス(というらしい)
posted by redsnake at 21:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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