2009年07月12日

ねこまんのたっきゅみんさん。09.7.3。

7/3(金)。曇天。天気予報は夕方雨。

前夜。なぜブログの読者が少ないとか、嘆いたフリばかりするのか。あるいは、それが本気ならどうして自分のブログを宣伝しようとしないのか。ある程度人気がなければ通用しない、売り込まないのは怠惰か自信のなさのあらわれでしかない。根幹には人間不信がある。それでどうすればいいかというと、名案はひとつも浮かばない。ただ書きつづけるだけ。だれにでも見てほしいわけではない、ということだけは確かだ。(緑川君にはぜひ見て欲しいが。)

翌。いつでも起床苦。昼間のパパはちょっとぐうたら、朝のパパはひどくぐうたら。ともかく、シュタイナー『超感覚』読。

「畏敬の念に充たされた魂のオーラは変化している」、「畏敬が魂の中に共感作用を呼び起こし、」32頁

…ミクシイのコミュニティを見ていると、「畏敬の念」というのはうまく表出されていないことに気づく。場合によっては挙げ足とりのような突っ込みが入ったり、そうでなければ無暗に熱狂したファン意識を表明するだけだ。なぜ好きなのかを、格別分析する必要もないだろうが、「これこれこういう理由だ」というくらいは書けそうだ。適宜引用して、読者の考察を促したり。イベント情報ばかりでなく、私たちはそういうふうにして、もっとうまくコミュニティを活性化できないだろうか。「共感作用」はもっと広がるはずだ。これは吉本翁や中沢氏に限らず、清志郎なんかももっと感想文を書いてみればいいのに。非活発であることは、私も例外ではないが。私の場合は何度か嵐が起きたから引っ込んでいる。知的なコミュニティは自慢げな気配が多く、ポップなコミュニティでは和合や浮かれが多い。たぶん、清志郎はそういうことを望んでいない。吉本・中沢両氏に関しては、著作ごとに議論したり、ひとりごとをつぶやいたりするようなやりとりが生じてくればいいと思う。書き込みする人はそれなりに勇気が要るのだから、よほど図々しい輩でない限りは互いに尊重し合えばいい。ほんとうは、私たちはそういう「おしゃべり」がしたかったはずで、別に「こういうコミュニティに入っています」という看板製作がしたかったのではない。

「常に「気ばらし」を求めている人は神秘学への道を見失う」

「だから神秘学徒はひっそりと孤独に自己沈潜する時間を生活の中に確保する必要がある」33頁

…私たちはどこかで「気ばらし」ばかり求めたり、すき間を埋めようとしたり、おなじ事だがスケジュールがつまっていることを自慢しているかもしれない。ああ、いそがしい、いそがしい。「神秘学」はともかく、どこで「ひっそりと孤独に自己沈潜する時間」をたもっているのか。パチンコ屋でそうしているのか。それもありかもしれない。パチンコは、どこかで精神の崩壊を食い止める作用があるのかもしれない。私の好きな漫画家の蛭子能収氏は、「パチンコに熱中しているときに喧噪の中で孤独を味わう」という意味合いのことを話していた。私は賭博者の魔性のようなものを追求できたら、ギャンブルはけっしてただの道楽や無為ではないと思う。別にドストエフスキーを持ち出すまでもなく、ひとはいいことばかりで学ぶのではないし、悪いことで失うだけではない。むしろ喪失や挫折を経験することが、それなりの知恵につながるはずだ。無論「超感覚」からは程遠いが。そして現在のパチンコはもっと「巨大な悪」に絡め取られていると思う。くり返すが、テレビでパチンコのCMを流すのは消費者金融の代替でしかないし、業界が深刻な問題を露呈しない限りは流れがやむこともないだろう。私は得体の知れない「巨大な悪」の尻馬に乗っかるだけの無責任な言動野郎が大嫌いだが、個々のパチンコ好きは嫌いではない。

ほんとうは日記を書くのがいちばんだと思う。それがもっともささやかで、「ひそかな自己沈潜」だ。それに慣れると、書くことと瞑想はよく似ているのだと思えるようになる。そのときあらゆる日常の営為や稼業は、共感作用を高める機会になるのだろう。散歩はただ「健康のため」でなく、自然と共感するためにあるのだと思えるだろうし、ヨガは「自分の身体を小宇宙と見なす」というレベルでもまあまあなのだろうが、さらに追求する意欲があるのなら、瞑想のヒントにするために文献を読むだけでなく、あらゆる芸術作品やポップカルチャーに注目してみることだ。現在に眼を向けなくなった修行者は、どこかしらが怠惰になっているように思う。ひとりヨガり。

私たちは少し過激な表現を求めている。凡百のヨガ指導者や宗教家の言葉で満足できない。そこにはめったに創造性が感じられないからだ。感性の風穴をあけるような、鋭いトゲが感じられないからだ。だから今でも、「福音書」は圧倒的に刺激的だ。「剣を」われらに。

いくぶんかの現実逃避(宗教活動のような)と、いくぶんかのリラクゼーション装置(同列にはできないが、ヨガやパチンコのような)に翻弄されるとき、私たちはそれが「自己沈潜」のように考え違いしてしまうのではないか。ほんとうは「考える時間」が大切なのではないか。ラスコーリニコフは「考える人」だった。

午前。祖父母にいただいたモーリス・センダック(?)の『世界名作絵本』ビデオ見。キャロル・キングの英語歌。「I don't care(ボク知らない)」というピエールのセリフはすっかりおぼえたらしく、わんたろうが「あいどんけ、あいどんけ」を連発する。私は幼児期の英語教育にまったく関心もないし、まず日本語を熟達することが大事だとかいうことに格別の共感もないが、映画やビデオの原作が英語で、日本語吹き替えがお粗末なら英語のまま観たほうがいいと思う。特にキャロル・キングのような才能ある歌い手なら、吹き替えが劣るのは明らかだ。そこには教育の要素などない。英語なんてヘタな教師から習うより、ビートルズやストーンズやオーティスでおぼえたほうがいいに決まっている。問題は絵本や原作が古いか新しいか、外国語か母国語かにあるのではなく、作品がおもしろいかどうかにかかっているだけだ。だからまだ「名作」とまで評価が高まっていないにしても、『ぜんまいざむらい』や飯野和好の『ねぎぼうすのあさたろう』やスズキコージの諸作品が大好きな親がいれば、おもしろがって子どもに見せればいい。自分はちっともおもしろがっていないのに、「これは名作だから、まちがいない」というだけの理由で子どもに絵本を読み聞かせるなら、それは勉強のしすぎで内実は怠惰と変わらない。何度もなんどもモーツァルトやベートーヴェンを聴くことが絶対に優れた知育だと思いこむのではなく、忌野清志郎やユッスー・ンドゥールやヌスラット・ファテ・アリ・ハーンや民俗音楽なんかも聴かせればいい。

外出。「交通公園」へ。「わんくんがんばる」というので自転車練習に励んでみたが、足の力がペダルに伝わらない。手を離すとどうしても止まってしまう。100回挫折しても101回目に成功すればいいじゃないか、なんちゅう、わかったようなわからないことをつぶやきながら、本人が嫌気ささない程度で練習。雨予報のせいか、昼頃ほとんどひと気が消えた。帰る気になった頃に、いつか児童館で会ったウリ坊と再会して「延長モード」に突入。若いお母さんから「小浜ラーメンはうまい」という情報を得て、私は「託児付ヨガスタジオ」の情報を提供した。青梅街道は今、梅雨どきなのさ。

夕方。中沢新一『緑の資本論』少読。ひとやすみのち、甥っ子の誕生日贈答品買いついでに、本屋で『まんがで読む「蟹工船」』立ち読み。水木しげる本も購入。

宵。「ねこまんのたっきゅみんさん」が、「LOVE JETS」のCDを届けてくれた。ありがとう、ねこまんのたっきゅみんさん。

posted by redsnake at 21:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
スネイク君
要望に応えて登場することにしたよ。
君の文章はときどき「ねじれ」が生じているよ。まさか故意にそうしているのではないだろう。よく読み直した方がいいぞ。
(ちなみにオレは男だ、どうだ参ったか?)
Posted by 緑皮蜥蜴(緑川蘭子改め) at 2009年07月13日 19:42
緑皮さん、
あなたが男性であることは当初から勘づいていました。ですが、「ねじれ」の指摘はごもっともで、あとから何度も直そうとしてもうまくいかないので「ねじれたまま」にしてしまうのです。

ところでミクシイでは「骨盤ダイエット」なる宣伝を垂れ流しているのですが、ハ虫類仲間としてどのように感じますか。

また、「幸福実現党」が杉並区内で「得票数1千票程度」であることに、なにかしら奇妙な感じをもちませんか。

北朝鮮からミサイルが飛んでくることを心配するより、テメエの未来を按じろ、と思ったことはありませんか。
「ママ、共産党、嘘つき」という遠藤ミチロウの歌を知っていますか。
Posted by redsnake at 2009年07月13日 23:06
小癪なヤツだな、
オレに支持政党も宗教がらみもないよ、
キミといっしょにしないでくれたまえ、だから選挙なんて行かないよ、ただし、「骨盤ダイエット」とか「小顔」とかは「この世の終わり」だとすら思うよ、
おまえがとことんバカを書くつもりなら、オレもときどき突っ込むつもりだ。
Posted by 緑皮蜥蜴 at 2009年07月13日 23:18
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