2009年06月27日

クレイジー・ママはしまじろうが大好き。09.6.19。

6/19(金)。太宰治生誕100年。入間矢柊。

前夜。就寝前に清志郎話。「『シングル・マン』は超のつく名盤だけど、現在もってない、実家にLPがあるだけだ、ほとんどおぼえているから買い直していない、なんなら歌ってあげよう」。……で、「ファンからの贈り物」「大きな春子ちゃん」「冷たくしたわけは」「ヒッピーに捧ぐ」「夜の散歩をしないかね」など、収録曲連続歌唱。「なんかちがうんだよな」と、嫁に文句言われたり、「うるさいよ、うるさいよ」と、わんたろうの半ば寝言。だれも私の歌手としての才能をわかってくれない。

♪ この歌のよさを いつかきっと キミにも わかってもらえるさ いつかそんな日になる ボクらなにもまちがってない もうすぐなんだ (「わかってもらえるさ」)

翌。『愛と非暴力』読。
「たとえばあなたが困難な状況におちいって、勇気を失い、劣等感を感じて、「こんなむずかしい仕事をやりとげる能力など、自分にはない」と思ったとしましょう。しかし、こんな風に意気消沈していても、苦から解放されることにはなりません。苦難の大きさに合った勇気をふるい起こすことが大切なのです。」211頁、三浦順子訳。

…清志郎の最近の歌のキーワードも「勇気」だ。わんたろうの好きなアンパンマンもそうだ。私は気恥ずかしさもあってあまりつかったことがないが、けっこう勇気は必要だと、この頃思うのだ。「勇気を出せよ、君の人生だろ」(「オーティスが教えてくれた」)とか、「勇気が、ほらわいてくるよ、朽ち果てそうだった心に、誇り高く生きよう、喜びにあふれ」(「誇り高く生きよう」、以上アルバム『夢助』)とか、


さぁ 踏みだそう最初の一歩を
さぁ 立ち上がろう歩き出すために
ほら 勇気を出して
(「春の嵐」作詞/作曲 忌野清志郎・梅津和時、アルバム『GOD』より)

…たとえばラスコーリニコフは「勇気」とか「努力」みたいな青臭い言葉をつかわない、もっとシニカルだろう。けれど、自分一人ならともかく、乳幼児をかかえていると皮肉や毒舌ではまったく通用しないことが多い。それでも反社会性を捨てきれないなら、どのあたりに不時着すればいいのか。勇気を出せよ。

朝。嫁はわんたろうにギョーザなどを給食してから出勤。とうちゃんは納豆、こんぶ、梅干し、ジャガバター、麦ライス。(夕方、タイラーメンと弁当用のおにぎり。)
午前中だらだら保育。『ウルトラQ』見。「すわってすわって」とわんたろうが要求するので、家事は手抜き。しかし、『ウルトラQ』はおもしろい。古さを少しも感じない。

(以下、ベネッセ批判。)

しまじろうの教材本を読んでいたら、なめられてるような気がしてきた。はっきり批判したほうがいいと思う。たとえば、「つたえあい絵本」という中身で、しまじろうの母親が赤ちゃんをあやすときに授乳しないことはきわめて不自然であり(4月号)、同様の場面で父親がほ乳びんで与えたあとに、母親が買い物袋を抱えて帰ってくるのも(6月号)、一般的な家庭のありようから程遠い。ベネッセがなにを気遣っているのかは明白だ。要するに「教育ママ」や「働くママ」や「クレイマー・ママ」に過剰防衛反応しているだけだ。だから表現が不自由で、しまじろうの家庭はとうていまともだとは思えないのに、なぜかしまじろうは聞き分けがいい。

もっともうるさ型の「ご意見ママ」に遠慮した挙げ句に、奇っ怪な家庭が描かれているのだろうが、ベネッセは創造性を捨てたのだろうか。なぜ、しまじろうの母が働いているなら働いていると、もっと明確に描こうとしないのか。差別や偏見への意識が強すぎるから、無難だが不自由で無味乾燥な家族像しか描写できないのだろう。父親がアル中で母親がスナックのママという寅次郎や、父親が肉体労働者で母親がヒステリックな熊五郎の家庭も出せばいい。もっと家族のイメージを拡大させたり分散させたりすればいい。不満足であろうに沈黙している母親たちの声を想像しない限り、この教材に未来を託すことはできないし、幼児期に必要だとも思えない。教育テレビの創造性とは比較にならない。

昼。あそびにいこうよ、わんたろう。いこうか、こうつうこうえん。…すったもんだは省略。

交通公園は全面禁煙だから、私はときどき離れて園外で一服するが、この日はなぜか父の不在を気にして泣いたらしい。私は「ちょっといなくなるよ」と告げたし、わんたろうは「いいよぅ」といつものように答えていたので真相は不明だが、ともかく係のおじさんに手を引かれていた。迷子か捨て子のように。

その後はひたすら「チェイシング・わんたろう」。吸わず喰わず。走り回る幼稚園児や小学生の群れに合流するとあぶないから、そうそう目が離せず、ラスコーリニコフはほとんど読み進まないし、吉本翁難解本にいたってはまったく読めない。二兎を追う者は一兎をも得ず。わんたろうはすり鉢状のスライダーで小学生にスライディング・タックルされ転倒。打撲はないことを見切っていたが、おどろいてびえんびえんと泣き出したからにはこれが退散のチャンスだと思って自転車に乗せてせんべい給食。やれやれ帰路。アクシデントがなければ閉園まで帰れないところだった。

16時半帰宅。わんたろうは遅い昼寝。とうちゃんもつげ義春読みながら仮眠。ベネッセの教材より、だれかの表現のほうがよっぽどおもしろいだろう。どうだい、クレイジー・ママ。
posted by redsnake at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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