2009年06月27日

輪廻寿司。09.6.18。

6/18(木)前夜。ユーモアを欠いた文書の送信不能。「愛が感じられない」という近親者の批判もあった。遅上がり独り寝。つげ漫画寝読。事実のラレツはつまらない。緻密さよりもリズムや変調を大切にしたほうがいい。残酷譚とか卑語挿入とか。

翌。連日蒸し器料理。とうもろこしとブロッコリー、シラス入りおこわ、大根とナスのみそ汁。納豆。わんたろうはおこわとプリン食。清掃中、『夢助』聴き。「オーティスがシャウトしてた、勇気を出せよ、君の人生だろ」(忌野清志郎「オーティスが教えてくれた」)。

『愛と非暴力』にも勇気が云々と書かれていた。「落ち込んでる時間はないだろう」も清志郎(「THIS TIME」)。そうはいっても体力減退。疲れたまま書いていると案出貧困。DVD『ウルトラQ』見。怪異譚はいい。正義のヒーローが登場しないのもいい。
午後。雨予報のため、丸ノ内線で託児付きヨガへ。手首足首へ刺激過多。しばし隠居。


15時。嫁と合流して、「モンテッソーリ教育」をうたう都内某所小規模幼稚園見学。「縦割り制」というのか、園児が年長も年少も同じ場所(一軒家)で過ごすのが大きな特徴で、これはいつか見た「シュタイナー教育」幼稚園と同じだ。正確ではないが、多人数幼稚園の「一斉教育」では規律正しい全体行動が身につくが、その根底には大人への恐怖があるのかもしれない、という意味のことを園長先生はおっしゃっていた。悪さをすれば懲罰が待っていたり、皆の前で恥をかかされることもある。反対にいい子ぶっていれば、大人は評価してくれる。
けれど私たちは、実は自分の2〜3才時のことをほとんど記憶していない。だからほんとうのことはなにもわからないのかもしれない。たとえ全体行動に従っているように見えても、必ずしも何も考えずにそうしているのではなく、言うことを聞かないと面倒だからそうしているだけで、子供は教育者やおとなに不信感を抱きはじめるきっかけを得て成長もするだろうし、世知辛い俗世のありようを知るだけであり、父母の情愛が確かなら心の根幹にまで影響を及ぼすことはない。ほんとうは、幼児教育というより、「父母教育」が重要なのではないか。だからそういう懇談会が充実している幼児教育者と出会うことが大切なのかもしれない。
たとえば私は小学1年のときに、すでに担任の女性教師に不信感を抱いていたが、なぜそうなったのかはおぼえていない。ただ、気づいたときにはその先生に嫌われていたし、私も嫌いだった。はっきりいえば、そういうときは大人が悪いに決まっている。子供に非はない。3年生のときの男性教師は熱血肌で、生徒にも親にもおおむね人気があったが、私は苦手だった。この人は突如激昂してビンタすることがしばしばあったからだ。私たちは恐怖に支配されているのに、親たちがそのことを感じて指摘してくれたのかどうか。
このように、少なくとも私には幼稚園時代の教育は想い出すことができないが、その後のことを考えるなら、いかなる高尚な理念があろうとも、担当教師が非寛容なら理念を狭義に解釈して子供を堅苦しくしてしまうだろうし、反対に理念も規則も適宜破ってしまう自由度のある教師なら、子供は恐怖をおぼえることなく、自然に先生のやさしさを感受しているはずだ。

●参考:「モンテッソーリ教育」に関して一部抜粋

【自発性と「敏感期」
常に子供を観察し、そこから学ぶ姿勢を貫いたモンテッソーリは、感覚教育と同様に重要と説いたのは、子供の中の自発性を重んじることである。どの子供にもある知的好奇心は、何よりその自発性が尊重されるべきで、周囲の大人はこの知的好奇心が自発的に現われるよう、子供に「自由な環境」を提供することを重要視した。また、子供を観察するうち月齢、年齢ごとに子供たちの興味の対象がつぎつぎ移り変わる点に着目し、脳生理学に基づき、さまざまな能力の獲得には、それぞれ最適な時期があると結論付け、これを「敏感期」と名づけた。モンテッソーリ教育の特徴の一面とされる一斉教育を行わない教育形態は、この子供たちの「自由」の保証と「敏感期」を育むモンテッソーリ理論の視点に立つものである。】(ウィキペディアより、あくまで参考)

…シロウトがデタラメを言うだけだが、「敏感期」には「反発期」と「停滞期」、「学習意欲旺盛期」が交互におとずれるのではないかと思える。もし「自由な環境」が提供されているなら、子供はしっかり反発するだろうし、「反発期」におとなが無理に押しつけずに、「停滞期(あるいは休養期)」をもてば、再び「旺盛期」が来るのだと思う。

夕方。わんたろうは嫁に抱かれて入眠のまま、駅前の回転寿司で遅い昼食。「隣のガキはよく大トロ喰うガキだ」と思っていたら、「大トロ」と何度目か注文したときに、「サービストロでいいかい?」と寿司職人に聞き直されたらしい。これは嫁からの伝聞。

少年よ。自分で稼ぐようになってから400円の皿をたのむがいい。まして職人をアゴで使うような言い方をやめておけ。若い職人はそのことをはっきり感じているから、少年にはややぞんざいな態度を示していた。私はこの職人は正直でいいと思った。いつか見た百貨店の寿司職人はこういう態度をとらなかった。「ぼっちゃん、なんでも好きなものをおっしゃってください」とほざいていた。父親がよほどの上客なんだろうが、タイコモチじゃねぇんだ。職人の誇りを持てよ。子どもに媚び売ってどうすんだ。オレを見ろ、オレを。子どもが言うこときかねぇ日にはすごいぞ。

「テメエ、ガキのクセにいっちょうまえに大トロとかウニなんかたのむんじゃねぇ、まして職人に不遜な態度をとるんじゃねぇやい、だれに養ってもらって寿司が食えると思ってけつかる」
「それははっきりかあちゃんでしょう、とうちゃんはただのぐうたらでしょう。まして渡世人とか言ってるわりには安い皿ばかりよって、まったくせこいよね」
「…あ、たいへん鋭い指摘。とうちゃんは基本的に臆病だし卑怯者なんだよね。…すみません、あとまたカニサラダください」

まわるまわるよ、寿司がまわる。右にまわる。
鯖は左まわりで泳ぎたいのに。
posted by redsnake at 21:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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