ひとり酒。豚肉生姜焼きとブロッコリーつまみ。賢治さん読。
「私はつまらないと思った、それからチラッと愛を感じた。すべて敵に遭って却ってそれをなつかしむ、これがおれのこの頃の病気だと私はひとりでつぶやいた。そしてわらった。考えてまたわらった。」(ちくま文庫『宮沢賢治全集8』、「初期短編綴等」315頁、表記は一部不正確)
…最近よく「歓喜の状態」にはいる。おおむね寺子屋にいる場合に限るが、ときどき苦手意識のあるどこぞのママゴンに会うときでも、「チラッと愛を感じる」というか、「なつかしむ」感じがある。これが私のこの頃の病気だ。そしてニヤニヤ笑う。はひふへほぅ。
翌。煮込みうどんとシャケ皮めし。わんたろうはチキンナゲットとみかんしか喰わず。ついでに行儀も悪い。ちゃんとすわって喰いなさい。「とうちゃん、うんち」、うんちをしながら喰うのはやめなさい。
11時から体操クラブへ。
思えば1年間よくがんばった。3月からは週2回だったが、途中数回サボっただけで、この頃は無休だ、よくやったぞわんたろう。と、心の中でほめていたが、わんたろうは体操終えて着替え拒否。とうちゃんの保護者不適ぶりを大々的にPRした挙げ句、体操着のままヤクルト。
午後から幼稚園だよ、買い物したら帰ってめしでも喰おう。「とうちゃん、2こかったの?」、あはん? 酒のことか、そうだよ、1本ずつ買ってるとすぐなくなるからね。
神明橋から川沿いにゆっくり移動してカモ見。あれはオナガガモで、茶色いほうがたぶんメスなんだよ、それと空を飛んでいる小さな鳥はハクセキレイというんだよ。
ちょっとずつ図鑑などで学んでいる知識をいちいちわんたろうに伝授する。他につたえるひとがいないからでもあるが、オナガガモがどこかの大陸から移動してくる「冬鳥」で、この季節にしか出会えないのだと思うと、いちいち興奮する。これが私のこの頃の病気だ。
結局めしは喰わず。着替えして寺子屋へ。
わんたろうはまず「シルバニアのドールハウス」がお決まりの遊びで、ときどき抜け出して園長先生とじゃれている。恐竜好きは「ウルトラマン」の影響だろうか。「頭ン中、ウルトラマンばっかりや」と先生おっしゃるが、じつにそのとおりであろうし、ふたおやが手抜きのために「大怪獣バトル」ばかり見せたせいでもある。ちょうしんどうはだぁー、がおーがおー。
奇妙な歓喜は、この日もなんどとなくおとずれた。
敬愛する“祖父母”がいて、子どもたちが安心して自由に遊んだり、なにかに熱中できるからだろう。「うちの子は作務らしいことをなにもしない」といってボヤいてみると、先生は「押しつけたらアカンのです。それをしてしまうと、子どもは必ずイヤになるときが来ます。無理にやらせて子どもがうまくできたときに、親は満足してしまうかもしれませんけど、実はそうではないのです」とおっしゃっていた。道理である。
私はここにいると、「道理である」と思うことが多い。児童館ではそうではなかったし、ごくふつうの幼稚園を選択していれば、そこで何が起きているかをほんとうに知ることはなかっただろう。児童館のほとんどの職員はけっして有能とはいえない。なにより、児童館そのものの存在意義が問われてしかるべきだろう。どこか特定幼稚園の「放課後の場」と化している場合もあり、単独の母子が入ってきたときに、居心地の良さをサポートしてくれる職員など見たことがない。彼らは“イベント”以外では事務室にこもっているだけだ。ひとたび疎外の気分を味わった母子は、二度と寄りつかなくなる。そのくせ、「児童虐待をなくしましょう」みたいなポスターだけはしっかり貼ってある。偽善もいいとこだ。民間企業に委託したほうがはるかに賢明だ。
3時過ぎに解散。わんたろうだけが公園へ。
ねぇ、みんな帰っちゃったよ、せめて別の公園に行こうよ、と提案したが、拒否。しばしふたりで、ココアとニコチン一服。曇り空にオナガが飛来している。なんだか楽しそうだ。
ほどなくして、「おねえちゃんたちきたよ」。でもいっしょに遊ぶには年がはなれすぎている。わんたろうはそれでもねばる。おねえさんたちにじりじり近づいて、なにをしているのか興味津々なのだ。
おねえんさんたちがはじめたのは「かくれんぼ」のようだが、園灯をベースキャンプにした特殊なゲームのようだったので聞いてみると、「ぽっくり」という遊びらしい。「缶蹴り」と趣向は同じだ。ついでに中学1年生だということも判明した。
わんたろうはいっしょに遊ぶわけでもなく、なんとなくつきまとったり観察しているだけだが、それなりに楽しいのか、「別の公園に行こう」という提案にはけっして同意しない。だんだん暗くなってきた。
とつぜん、空がギョギョギョと唸りをあげた。見上げると、鳥の大群が東に西に「∞」形に旋回している。まるで巨大な黒雲がダンスを踊っているようだ。
あれはなんだろう、なんていう鳥だろう?
私はそればかり気になっていたが、そもそも近視がすすんでいて、近くのおねえさんたちの顔すら見えていない。眼鏡を換えるか、バードウォッチング用の双眼鏡を買うか。ともかく、数十羽単位ではない。千羽近い大群だ。
日没頃にようやく家路。鳥の大群の塒はどこにあるのか? 妙正寺公園あたりか? と予測していたら、案外近くから声が聞こえている。
わんたろう、鳥の声が聞こえるよ、あっちのほうだよ、いってみようか、「うん、いってみゅよ」。蓮華寺の裏に竹林があった。あれだあれだ、あそこが鳥たちの塒だ、ほらほら、すごいよすごいよ、すごい鳴き声だよ、
きょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょきょ
暗闇と化した竹林の中で、鳥たちがおおさわぎしている。姿は見えない。寺は葬儀の最中らしい。「鳥葬」みたいでいいな。
日大二高の交差点でイルカ母子と遭遇したとき、私は興奮状態だったため、あの竹藪に鳥がおってどえらいこっちゃねん、という意味のことを街道越しに大声で伝達していたら、「とうちゃんうるさいよぅー」と、わんたろう。
ごめんなさい。
…って、とうちゃんはちゃんと「ごめんなさい」がいえる、いい子でしょう?
ちゃうちゃう、めったにあやまらないよね。ちぃちゃんにはとくに。(と、わんたろう。)
宵。あの大群はなんだったのか? という疑問やまず、グーグルで「冬鳥、大群」と検索してみたら、「あとり」らしいことがわかったが、千羽単位で移動するという情報は得られず。ちなみに「あとり」とは、
「ヨーロッパおよびアジアの中部で繁殖し、日本には冬鳥として群れをつくって渡来します。山地や平地の林や水田にみられ、おもに草や木のたねをたべ、キョキョキョとなきます。」(小学館『鳥類の図鑑』より)
たぶんこれだ。そして「あとり」はけっこううるさい。「オーケストラ・リハーサル」(フェリーニにそういう映画があっただろう)みたいに個々がめちゃくちゃに囀っている。
上空を旋回するときもどういうあれでそうしているのか、さっぱりわからない。まるで空を撹拌するかのように、ぐるぐる飛びかっている。
私はフランク・ザッパの『黙ってギターを弾いてくれ』を聴きながら、自然はルールを逸脱しているものだなぁと、感慨に耽ってみたのであろうか。それともわんたろうを邪魔にしながら「かきかき」していただけだろうか。
だれもいないと思っていたが、どこかでどこかで天使が見ていた。
「あんた最近フランク・ザッパと鳥の声ばっかり聴いてるね、そしてまずまずリラックスしているね、けど、酒飲みながら書くのはいかがなものかね」。
フォト:わかりにくいでしょうが、鳥の群れ

